マルチプレーヤーとして
活躍できる、
それが東京躯体の面白さ!

成田晶

成田 晃2014年入社|鳶工

成田晶

高校時代はどのような学生でしたか?

入学式の日に、体が大きいからと先生からラグビー部に勧誘され、それから毎日毎日365日ラグビー漬けの3年間でした。授業に出て3時から6時くらいまで毎日練習して、土日は遠征で練習試合にいっていました。
練習がきつかったのもあり、3年間、結構つらかったですが、続けられたのは周りの仲間がいたからですね。一人では無理だったと思います。学年に関係なく、全員が「仲間」という意識があったから、誰一人かけることなく、卒業まで続けられました。

今の仕事は連帯感が強いです。
そんなところは、ラグビーで得た経験に通じるものがあります。
鳶も一人ではできない仕事です。つらいときに上の人が下の人に声をかけてあげる、下の人が頑張っているのを見て上の人間も頑張らないといけないと思う、つらいときに誰かが隣にいてくれる、そんなところも似ていると思います。

東京躯体に入社した経緯を教えてください。

成田晶東京躯体を選んだのは、鳶工をやりたかったからです。
父親が鳶工の仕事をしていて、頑張って仕事をしているその背中を見て育ってきたから、自分もなりたいと思うようになりました。

求人を探すときに、機械科だったので建築の求人が2件くらいしかなかったんです。一社が東京躯体ともう一社。最初はもう一社の方が給料が高かったからそっちを選んでいました。先生に伝えたら、一度家に持って帰って親に見せなさいと言われ、母親に見せたんです。そうしたら、給料は多少違うけれど、東京躯体の方が福利厚生がきちんとしているから将来の自分のためになる、と言われて、東京躯体を選びました。

会社見学の時、社長がよく笑う人で、自分が思い描いていた建設会社社長のイメージとちょっと違いました。社長と話して、この会社はすごくいい会社なのだと思ったのを覚えています。

入社してからの経験を教えてください。

研修期間が2ヵ月ありました。当時はまだカリキュラムがきちんと決まってはいなくて、現場見学に行ったり、現場実習をしたり、座学の授業があったりと、いろいろなことを学びました。
研修のおかげで、自分がこの業界で働くというイメージができました。研修期間中は、社会人として猶予を2か月ももらっているようなものですから、有意義に使わないともったいないなと思いました。

研修が終わって現場に出たとき、最初は1年半程土工の仕事をやってから、今の鳶工のメンバーに入りました。鳶工になったら、すべて最初から覚え直しでした。材料もわからない、足場の組み方もばらし方もわからないから、見て、聞いて、言われて、動いて、一生懸命覚えました。
先輩たちがきちんと教えてくれるのですが、それでも自分から動いて、聞きに行って、しつこく聞いて、どうやるのか、次何をするのか、段々自分でわかるようになってきてました。
失敗もしますけれど、そこから学んで、この頃はやっと余裕ができてきました。

成田晶

今後の目標を教えてください。

近い未来としては、職長として自分の現場を持ちたいです。

もう少し長いスパンで考えると、鳶工もできて土工もできるようになりたいです。能力次第ですが、鳶の親方と、土工の親方の両方を一つの現場でやってみたいんです。
マルチプレーヤーとして活躍できる、それが東京躯体の面白さだと思います。

一つの職種で特化してもいいし、土工、鳶工、外構工事担当など何でもできるようなマルチなスキルを身に着けるのもいいと思います。鳶工も土工も同じ時期に同じ現場で作業ができるならそれも面白いじゃないですか。足場を組むときはハーネスをして、コンクリートを打設するときは長靴をはく、と。
東京躯体に入って、土工も教わり、鳶工もやっているし、自分が得てきているものを自分で生かせるようにしたいです。とはいえ、現実的には全部を一人で見るのは難しいと思います。でも会社には仲間がいるのですから、自分が一つの現場で親方をやって、鳶工のサブリーダー、土工のサブリーダーがいて、自分が職長でいて、そうやって全部を見る、なんていうのをいつかできるようにしたいです。

建設業はその現場によってやりかたも方法も全然ちがったりします。教科書で習ったことが現場では通用しなくて、現場で積む経験などが自分の経験年数に比例します。だからこの仕事を長く続けて、経験、知識を積み上げ、マルチプレーヤーとして活躍できるように頑張っていきたいと思います。